毎日一日分更新がいいんだけど、土日は家にいれないからばっと更新します。4日目、大阪はあと二日間、ここ釜ヶ崎と次の日、NEW HOPE OSAKA。この日はスッゲ長かった。日記もいつもの2倍書いてる。さて、いきましょうか。
この日の日記はこんな感じで始まってる。「確かにオレは偽善者カモね。大切な前提となる条件が、オレには欠けているのかもしれない」物事をする動機とプライド。今でもそれは俺の前に大きく立ちはだかる。だから色んな人に偽善者だって言われるんだけどね。
この日が吹田聖書福音教会最後の日ってことで、朝から掃除をして挨拶をして教会を出た。バスは大阪をまっすぐ南に行き、新今宮の方角へ向かった。一日目にも紹介した友岡さんが朝からバスに同乗してくれて、釜ヶ崎についてのレクチャーを少ししてくれた。監視カメラに見守られた町、しかし誰が誰を、何から見守っているのか、警察とヤクザ、つながる組織、そんな話だったと思う。
コンサートの話に入る前に、紹介し忘れた人がいるので書いておく、この地区の教会の神父さんで地域の人からは散髪のおっちゃんと呼ばれている...何先生だっけ??名前忘れた。本田哲郎先生だ。みんなは会ってないんだけどオレとミカはその前にお会いすることができて、挨拶しただけだったから話はできなかったんだけど、オレはその人の本をのぶくんから借りててちょうど読んでたところだったんだけど、今思えば彼から話が聞けたらすごいおもしろかったと思う。興味がある人は本を読むといいと思う。彼はローマで働くのを辞退して、ここにいまもいるんだけどすごい人だよ。
話を戻してコンサートの話にしよう。当然観光バスで公園の横につけられないから、近くの大通りに止めてそこから荷物を運ぶ。公園に着くと思ったよりも濡れてなくて、危惧してたステージの上も友岡さんとの一緒に交渉に行くと快く場所をゆずってくれて、無事にドラムをおけることになった。そのあと友岡さんといっしょに、電源を確保しにあいさつ回りをする。公園の電源(コンセント)は当然公園局、つまり府が管理している。だから、前に来たときにお金を払いにいったんだ。しかし、電源があるところから公園の演奏するところまで、はその管理ではない。まぁ、公道かな?だったら国が管理してるんだけど、その間にいわゆる場所代が必要なところがあって、そこにも事前に挨拶に行って当日使わせてもらえるようにしてもらっていた。友岡さんにはほんとに感謝だ。そのときも実際にこれから使わせてもらいます。ってことで挨拶をしながら電源コードを伸ばしていった。途中でコード切られたりしないか不安だった。無事にコンサートが終えられるか、不安だった。
電源はなんとかなって、今度はスピーカー立てたりしてたら、何人かのメンバーと地域のおじさんが話してるのが見えた。どういう話だったかというと、なんかやんの?コンサート?そんな遊びに興味ないわ、帰れ!っていう話やった気がする。オレがそこに始めからいたのか俺も覚えてないんだけど、俺は自分の迷いを彼にズバッと言われたこと、それに言い返せなかったこと。それが偽善だと思い知らされたこと、ミカも言い返せなくなってたこと、リヒトは言い返してたり、そこにいた人がそれそれの反応を返してて、そのあとも、色んな言葉を掛け合ってたけど、どれも響かずすごいがっかりした。人はこうも理解しあえないのか、クリスチャンといえども、この程度なのか、と思って、やるせなくなった。すごい無意味に思えた。そのなかで中途半端な立場を取り続けてた自分に対しても。。。「俺はそんなん絶対認めへんぞ!!」”彼”は言った。わかる、と思った。オレには”彼”の何も理解できなかったけど、そう思うしかなかった、そう感じることしかできない。それはわかると思った。その一方で、そんなんめっちゃサミシイやんけ、とも思った。ミカと日本橋で「格差」について話したことや、その時読んでた本に出てきた聖フランチェスコの話なんかも思い出された。
そんなことを思いながら、そこにおった。コンサート中も、歌うこともできず、かといって歌いたくないとも言えず、その中におった。4曲くらい歌った、ハズ。最後の曲、イントロの瞬間、やな予感がした。日記にも書いてある、「また来た、一番苦しい曲、friend of God」....I am a friend of God...am I really??
ずっとこの曲嫌いやった。2回目のファンキーくらいから。神様信じてないのに、「神様の友達☆」とかどんだけ偽善者やねん、ソロやし!!とか思ってた。エレミアがこっちを見た。観念した。俺は一番後ろに隠れてたのに。それでもまっすぐ俺を見てた。この日はエレミアも不安やったから自分以外の誰にもソロはやらせへんっていってた。それを俺に任せてくれた。その理由を後で聞いたはずやったんやけどもう忘れてしまった。とにかく、前に出た。みんなが俺を見てた。炊き出しの手伝いやったときにおはし渡した人、当日きてた人、大阪のスティンターも見に来てくれてた、もちろん、"彼"もおった。じっと俺を見てた。正直、伝えたい思いなんてなかった。所詮オレは偽善者やから。それでも、「サミシイやんけ」って思いがすごいあった。後であった人は人生に"遊び"の部分なんて一切ないって言った。うそつけ!!なんかあるやろ!!なんか絶対あるはずやって!!そういう思いが少し出てきた。しかし、視線はコワイ。前からも、後ろからも。すぐ後ろに戻って、コンサートは終わった。
片づけしてるときに、一人の老人と話すことができた。かれは小さい頃に身寄りをなくしてそれ以来食べるために必死で生きてきたって語った。汽車の運転手をずっとずっとしてきて、石炭の灰で体はぼろぼろだとかも言ってた。でも、ものすごい誇り高くて、自分の人生に誇りを持ってて、こんな年だけどまだ体は強いって握力見せてくれたり、若い頃は米軍人とけんかして勝ったんだっていって、エレミアとポールに突っかかっていったり(それで最終日のバスで話してたんだよね)、最後に彼が言ってたのは自分は命がけでこの命を生きて生きた、最近の若い人は仕事しながらも”遊び”のことを考えてる。俺の時代は遊びのこと考えてる余裕なんてなかった。もっと命がけで何かに取り組まないとダメだ。だから俺らのそんな"遊び"にも興味はないって言ってた。
バラシをやって、荷物を運んで、みんなは炊き出しの手伝いをしている間、俺は一人部屋で泣いてた。もう意味がわかんなかった。何のためにこれをやるのか彼らの生き方にオレはどう答えるのか。わけわかんなかった。体を動かすのもだるかった。で、最終的にどうでもよくなった。もうほっとけ、アホ。ということにした。
で、今度は釜ヶ崎の人たちについて、友岡さんが再びレクチャーしてくれた。どういう生活をし、どういう仕事をし、どのようにして彼らがそういう生活をするようになり、どのようにしてこの町ができたかを。
ここのエピソードはnuclear powr plantかな?なんでわかったんだろ?ふっと出てきたんだよね。
そのあと(前だった気もする)自由時間でご飯を食べた。安くでおいしいご飯が食べられて楽しい時間だったね。
で、さいごにわかくさ幼稚園の児童たちと遊んで、釜ヶ崎を後にした。
途中で、友岡さんともお別れをして、今度は吹田じゃなくて高槻に向かった。
食料も減ってたから途中買出し組みと分かれて、オレ、クリス、ケリー、けいこちゃんだっけ??なんで買出し組みもやってたんだろう??ばかだなぁ。なんでもやりたがりだったんだなぁ。
で、YWAMについた。ご飯を食べてこの日は夜にディボーションやった。ルカ8:26-39 レギオンの話。彼は悪霊から自由になって、そのどんな体験がイエスさまに従いたい、彼のことを言い広めたいという気持ちにつながったかとかを話した。
そしたら、御園さんから連絡が来て、予約してたホテルに泊れないってことになった。完全にこっちの落ち度で、こっちというかホテルとよく連絡取れてなかったからなんだけど。御園さんも怒ってて、俺は疲れてて、でもやんなきゃなんないからとりあえずホテルと連絡とって、ちゃんと泊れるようにお願いして。御園さんも泊る場所探さないとどうしようもないから、ドライバー仲間と連絡とってもらって泊れるところないか探してくれて、おかげで万博まで行くことになったけど見つかって。すごいよかった。
今でもナゾなのは、なんであの時、御園さんのホテルが見つかるように祈ってくれって、みんなにお願いしたんだろう??神様を信じてなかったし、祈りの力なんて知らなかったし、俺はあの時祈らなかったんだ。でもみんなには祈ってくれって言ったんだ。状況を共有したかったんだろうか??
とにかくこの日は長かったね、ふぃ~。それくらい濃い日だったよ。常に脳みそが動いてる感じ。
でもこの日はオレにとって一つの転機だったんだと思う。”それでもなんかないのか!!”っていうのは俺の道を少し照らした、こんな俺でもなんかあるだろって考え方は謙虚に神様の前に出るのにひつようなことだったのかもしれない。
釜ヶ崎については長くなったね、でもこういった格差はどこにでも存在するしもっと身近な例もあるはずだからそういうことについても少し考えて祈っていけるといいな。
さて、明日は大阪最後の日ってことでなんば観光をやりました。その一方で、ツアー半分にしてもうかえらなきゃいけない人も出てきて、少しサミシイ日でもありました。個人的には、初めて神を求める祈りをした日でもあり。やっぱりバタバタするんだなぁって感じです。というわけでまたあしたぁ!!
p.s. そういえばこの日か、あれがあったのは。みんな歯磨いて部屋に入って寝始めてる頃に、ひとりテーブルでこの辛い気持ちの日記書いてたんだけど。そしたら、浩二郎とのぶくんがそれぞれ別々に来て、トイレに行く途中だったのかなんだったのか覚えてないけど一言ずつ声をかけてくれたんだ。俺はこの通り疲れて凹んでたから返事するのが精一杯だったけど、今思えばそれぞれ”らしい”声のかけ方だったんだなと思って書いとくね。
浩二郎は、「浩平日記書いてるんだ。すごいね☆おれはいつも三日坊主で全然続かないよ。おやすみ~」とかって言ってた気がする。
一方のぶくんは、「浩平日記書いてるんだ。今度何書いたかシェアしてね☆おやすみ~」って言ってた。すごいビックリした☆こんなくらい事書いてるのにシェアできるかよ!プライベートなもんじゃん!とかすごい思ったけど。結果その二日後、それをシェアして神様まで導いてもらったし、いまもこうしてみんなにシェアしてんだもんね。のぶくんはやっぱすごいわ。
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2 comments:
ついにきたね!釜が崎!!
私は正直「こわい」って思いの方が強かったんだけど、
ツアーがなかったら絶対知らなかった現実だった。
神様のプランなのかな。
釜が崎のおっちゃんたちと、うちら大学生って正反対な気がするもん。
浩平が部屋で泣いていたこととか、私は全然知らなかったし気づきもしなかったけど、「浩平がいなかったらツアー成り立ってない!」っていうのはツアー中ずっと思っていたよ。
この記事じっくり読むのに覚悟が必要で今初めてちゃんと読んだ。
Thank you so much for sharing!
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